職人ライダーヒロの 楽しいツーリング日記!

兵庫県加西にのこる巨大な戦争遺跡「鶉野飛行場跡」をめぐる歴史ツーリングの旅

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工作機械製造において キサゲ加工 という超重要な手仕上げ加工を施す職人である一方。相棒のCBR1000RRやGTR125aeroと共に旅に出かけ、日本各地に点在する絶景スポットやグルメ情報などをブログを通じて発信するブログライター。
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どうも!職人ライダーのヒロです。

今回は巨大な戦争遺跡が数おおくのこる

兵庫県は加西

鶉野飛行場跡うずらのひこうじょうあと” へ行ってきました!

 

こちらは旧日本海軍 “姫路海軍航空隊” の飛行場で

主にパイロットの養成訓練を目的として建設されました。

その他にも局地戦闘機「紫電」「紫電改」の試験飛行

特攻部隊である「白鷺隊はくろたい」が形成され 飛び立った場所でもあります。

 

全長 約1,200メートルの滑走路がほぼ当時のまま残されている

全国でもめずらしいところで

周辺には当時の面影を生々しくとどめた

防空壕や爆弾庫、機銃座跡などの戦争遺跡が数多くのこっています。

 

戦後80年を迎える現在として

当時の日本であった悲惨なできごと

くり返してはいけない戦争の怖さを学ぶすべとして

ツーリングの目的地に鶉野飛行場跡うずらのひこうじょうあとはいかがでしょう。

 

鶉野飛行場とは

紫電改の試験飛行や訓練生や白鷺隊が飛び立った滑走路跡の写真

旧大日本帝国海軍が兵庫県加西郡九会村(現:加西市鶉野町)に建設した飛行場。

第二次世界大戦が激化しはじめた1943年(昭和18)に建設されました。

 

その広さは凡そ274万㎡、甲子園球場 約70個分に該当する広さで

近隣の住民や朝鮮人の労働者など

あらゆる方面から約千人をこえる人材をかき集め

凡そ1年という短期間で建設されました。

 

当時は重機もままならない時代だっただけに

作業は手作業によるものが主流。

どれだけ過酷な労働条件だったのか

心中につたわってくる気がします。

 

鶉野飛行場が建設された3つの目的

鶉野飛行場は主に3つ目的で建設されました。

 

一つ目はパイロットの養成訓練。

姫路海軍航空隊とは戦闘機の操縦訓練を養成するための部隊で

全国から17歳~20歳半ばの若者、約500人をあつめて形成されました。

戦闘機の操縦訓練はもちろん、

特攻の訓練もおこなわれました。

 

二つ目は局地戦闘機「紫電」「紫電改」の試験飛行。

川西航空機(現:新明和工業)が製造した

局地戦闘機「紫電」「紫電改」のテスト飛行も行われていました。

川西航空機姫路製作所で完成した機体を 一度バラして3分割し

滑走路の南西部に建設された鶉野工場まで馬車ではこび

再び組み立てられテスト飛行がおこなわれました。

「紫電」「紫電改」あわせて約500機あまりが生産されたということです。

 

3つ目は姫路海軍航空隊「白鷺隊はくろたい」の出撃地であった。

太平洋戦争末期、戦局が悪化すると

旧日本海軍は“神風特別攻撃隊かみかぜとくべつこうげきたい”を編成

戦闘機で体当たりすることによる捨て身の戦法

通称 “特攻” です。

ちょくせつ鶉野飛行場から沖縄まで飛んで行ったわけではなく

待機基地がある大分県の宇佐や

出撃基地がある鹿児島県の串良を経由してのことだったようです。

沖縄戦に出撃し 63名の若い隊員が命を落としました。

 

一般的に海軍では

一人乗りの「零戦」にのって出撃するのが多かった中

白鷺隊では3人乗りの「九七式艦上攻撃機」で出撃していたようです。

一人目が操縦士、二人目が偵察員、三人目が通信員

3人が乗り込み敵にぶつかっていく。

情報を確認しながら飛行し

確実に敵に命中させるのが目的だったようです。

しかしその命中率は実に13%ほどだったんだとか。

 

海軍では特攻で2,507名もの若い隊員が命をおとしました。

 

鶉野飛行場跡を見学 まずは 戦争学習施設 “sora加西” から

sora加西の正面写真

鶉野飛行場跡 滑走路の端に建設された

戦争学習施設 “sora加西”

鶉野飛行場跡のことも周りの戦争遺跡のことも

何もわからなければ、まずはここを訪れるのがいいかもしれません。

 

こちらでは鶉野飛行場の歴史から航空技術まで

全てがわかりやすく展示されているので

分からない人はまず“sora加西”を訪れましょう。

 

鶉野工場で組み立てられていた「紫電改」や

特攻機としても使われた「九七式艦上攻撃機」の実物大レプリカも展示されているので

リアル感がまします。

紫電改と九七式艦上攻撃機の写真

上:九七式艦上攻撃機/下:紫電改

迫力ある実物大レプリカなだけに見ているだけでも圧倒されそう

当時を知るうえですごく勉強になります。

 

鶉野飛行場跡めぐりをするには

これが必要⇩

鶉野飛行場跡めぐりガイドマップの写真

戦争遺跡めぐりのガイドマップも置いてあるので

必ずもらっておきましょう!

 

そんな感じで私も朝一より

まずは sora加西 を目指してバイクを走らせました。

sora加西の駐輪所からCBRの写真

この日は2025年9月のこと

ちょうど戦後80年の節目にあたります。

このような節目の年に太平洋戦争に関する地にかかわれたこと

この地のことを紹介していただいたこと

全てのことに関して

何らかの縁を感じている今日この頃です。

 

それにしても物凄く広大な地域で

ここが飛行場を作るのに選ばれた理由がわかる気がします。

ホント「ダダっぴろい!」それが一番の印象でした。

 

この日は開館時間よりだいぶ早く着いたので

sora加西の周辺をうろついてました。

 

鶉野飛行場慰霊碑の写真

こちらは特攻で出撃して亡くなった

白鷺隊隊員63名の名前が刻み込まれた慰霊碑になります。

 

もとは滑走路に設置されていましたが

より多くに人に拝んでもらう目的でこちらに移設したんだとか。

毎年10月には慰霊碑の前で鶉野平和祈念祭が行われるそうです。

 

慰霊碑を前にすると

やはり当時の一大軍事拠点の一つであり

たくさんの若者がお国のため、愛する者ために

死を覚悟して飛び立った一大拠点であることを

あらためて自覚する。

それを思うと自分も身が引き締まる思いでした。

 

人力転圧ローラーの写真

慰霊碑のすぐ横に目をやると

滑走路をならすときに使用された転圧ローラーが展示されていました。

御影石みかげいしを円形に削ってつくってあるんだとか。

 

説明書きによると

滑走路の地盤を固めるために使用されたもので

ローラーに太いロープを結んで

十数人がかりで引っ張っていたという。

 

今は重機があるからもっと楽だけど

当時はそんな物ないのでホント大変!

それをわずか1年たらずでつくり上げたんだから

当時の過酷さが身に沁みます。

 

鶉野飛行場記事アイキャッチ画像

sora加西の有料エリアへ入館しました。

sora加西とは 2022年に加西市が鶉野飛行場の端に建設した

戦争当時を伝えるためのミュージアムです。

 

入館料は大人:200円/中学生以下無料と

お値段も良心的。

紫電改ドアップの写真

いきなり紫電改の実物大レプリカがお迎えしてくれました。

紫電改は川西航空機が製造した局地戦闘機のことで

当時の旧日本海軍にとって最新鋭の機体でした。

 

川西航空機という会社は今でも存続していて

新明和工業という会社名になっています。

新明和工業製の自衛隊飛行艇の写真

現在では自衛隊の飛行艇をつくっている会社として有名です。

 

水の上に着水できる飛行艇を得意として製造している会社なので

紫電、紫電改も元となった飛行機は飛行艇でした。

写真はないんですが

水上戦闘機「強風」という戦闘機を改良して

陸上戦闘機化したものが紫電になります。

紫電改のコックピット外装の写真

エンジン出力は2,000馬力級の「誉」二一型エンジンとあって

当時としてはかなりの高出力!

有名な「零銭」の凡そ2倍の出力があったんだとか。

紫電改コックピットの写真

川西航空機姫路製作所で完成した機体をもう一度3分割にバラし

飛行場ちかくの鶉野工場まで運んで再び組みなおす。

そして鶉野飛行場で試験飛行をしていました。

紫電改を後ろからみた写真

こちらの紫電改は局地戦闘機ということであまり遠くまで飛ぶことができず

あくまで本土を防衛するための迎撃用。

特攻に使われることはなかったようです。

 

特攻機として白鷺隊が搭乗していた機体はこちら

九七式艦上攻撃機の写真

「九七式艦上攻撃機」という戦闘機になります。

 

紫電改は一人乗りですが 九七艦功は3人乗りになっていて

コックピット前側に操縦士

まん中に偵察員と その後ろに通信員がのり込みました。

九七式艦上攻撃機のコックピットの写真

敵を完全に見定めて確実に命中させる

そういう目的で3人乗りだったようです。

九七式艦上攻撃機胴体にある800キロ爆弾の写真

胴体には800キロの爆弾を搭載できるなど

零戦の凡そ5~6倍の量まで搭載可能。

命中したときの破壊力はスサマジイものだったでしょう。

 

鶉野飛行場の歴史や機体各部位の説明も多く

非常にわかりやすく掲示されているので

後は実際に行ってご自分の目で確かめてみてください。

 

滑走路から戦争遺跡をめぐる

鶉野飛行場滑走路(sora加西)方面を見た写真

ミュージアム sora加西から先

戦時中の滑走路跡が約1,200メートルつづいている

 

当時として幅は60メートルあったものの

現在では45メートルに減少。

ところどころ道路で寸断されているものの

これだけ長い戦時中の滑走路跡がのこっているのは

全国随一です!

紫電改の試験飛行や訓練生や白鷺隊が飛び立った滑走路跡の写真

ここから多くの練習生が厳しい訓練の中 飛び立ち

紫電、紫電改が試験飛行し

特攻部隊である白鷺隊が飛び立っていったわけです。

 

ただ何気なしに見ているとただの空き地にしか見えませんが

当時のことを思いながら心の目でみてみると

いろんな感情がわきあがってくるようです。

 

sora加西でもらったガイドマップ通りにすすみ

滑走路跡から約1キロほどの地点まできました。

ここから先は防空壕や爆弾庫

機銃座などの戦争遺跡が密集するエリアになります。

戦争遺跡が密集するエリアとCBRの写真

歩いて散策したほうがのんびりめぐれそうですが

ところどころ駐車場もあるので バイクで散策しても大丈夫です。

私は時間もないのでバイクで散策しました。

 

ボランティアガイドの人と一緒なら

防空壕に入れるところもあるようです。

 

ちなみにこちらは入場料500円をはらうと入れます。

基地内最大級の防空壕なんだとか!

巨大防空壕の入口の写真

係員もだれもいなかったのでこの時は入れなかったけど

コンクリート製の防空壕で

中では特攻隊員の遺書を映像で公開しているようです。

入場するにはヘルメットの着用が義務付けられている写真

入場するにはヘルメットの着用が必須!

天井で頭をぶつける可能性もあるし

安全第一ですね。

空から見たら小山に見えるようにカモフラージュされている写真

ちなみにこちらの防空壕

空から見たら小山に見えるようカモフラージュされているんです。

敵から分かりにくいように工夫する

当時の人の知恵です。

 

こちらは機銃座

機銃座の写真

低空飛行で向かってくる敵戦闘機に対して

「25㎜連装機銃」とよばれる機銃が据え付けられていたんだとか。

基地内では計5ヵ所の機銃座が設置されていて

現在でも4ヵ所そのまま残っています。

機銃座に据え付けられていた“男たちの大和”の機銃の写真

ちなみにこちらの機銃はもちろんレプリカで

映画「男たちの大和」で撮影用に使われていたものをお借りしているんだとか。

 

男たちの大和に思い入れのある方なら

「おぉ~!!」ってなるかもしれませんね!

「散る桜、残る桜も散る桜だ…」

 

こちら北条鉄道「法華口駅ほっけぐちえき」側から見た写真になります。

姫路海軍航空隊の衛兵詰所跡の写真

姫路海軍航空隊の衛兵詰所跡えいへいつめしょあとがあった場所でして

平成30年に復元整備されました。

当時はここが姫路海軍航空隊の正門だったようです。

 

現在の門は復元されたものですが

復元工事時中に元々の門柱の基礎部が発見されました。

工事時に発見された門柱基礎の写真

 

ここから先、最寄り駅であった北条鉄道「法華口駅」までのあいだ

コンクリート製の防空壕や、素掘りの防空壕が点在します。

コンクリート製防空壕の写真

コンクリート製防空壕

※上記写真に他のところの防空壕も映ってますが気にしないでください。

 

素掘り防空壕の写真

素掘防空壕

こんな防空壕が鶉野飛行場周辺に計30ヵ所以上ものこっています。

 

そんな中、道をすこしはずれて丘の上へ

マムシなどのへびが出てきそうな草むらが多い小道を恐る恐るすすむと

コンクリート製の爆弾庫跡が口をひらいていました。

爆弾庫跡の写真

爆弾庫とだけあって頑丈につくられていて

コンクリートの厚みは約1メートルもあり

ほかのコンクリート製防空壕の2倍の厚みがあるんだとか。

 

入口は格子状の扉で閉鎖されていて中には入れませんが

その隙間からの写真撮影。

爆弾庫内部の写真

当時はこちらに爆弾や砲弾などの弾関係を格納していたようです。

 

へびはいませんでしたが

ラピュタのような生々しい風景に出会えたので

リスクをおかして来た甲斐はあったというものです。

 

そして北条鉄道の「法華口駅ほっけぐちえき」へ

北条鉄道「法華口駅」の写真

ここで戦争遺跡の散策は終了となります。

 

こちらは衛兵詰所から約1キロくらいの地点。

当時は姫路海軍航空隊への最寄り駅として栄えていたということです。

 

時をかさねてレトロチックさをかもしだす

国登録有形文化財にも登録された駅舎で

のどかな雰囲気の田舎によくある駅舎です。

北条鉄道「法華口駅」駅舎の写真

北条鉄道「法華口駅」駅舎の写真(2)

外観はのどかなんですが

駅舎内で販売されているハンバーガーが超人気で

中は人でいっぱいでした。

 

たまたまかもしれませんが

扉をあけて中に入ろとしたとき

中の人がいっせいにこちらに向き直ったのです!

その時の目が怖くて

そ~っと扉をしめて帰ることにしました。

法華口駅駅舎出入口の写真

ハンバーガー旨そうだったので

機会があればまた来たいと思います。

 

鶉野飛行場跡 sora加西 基本情報

※地図は“soraかさい”を示してます。

基本情報
  • 【住所】兵庫県加西市鶉野町2274-11
  • 【電話】0790-49-8100
  • 【営業時間】9:00~18:00
  • 【休館日】第2・4月曜日(祝日の場合翌平日)
  • 【駐車場】無料

 

最後に

私がはじめて鶉野飛行場の存在を知った時

一番はじめに思ったことは

「紫電改かっこいい~」とか

「実物大レプリカスゲー」とか

そんなミーハーなことばかりでした。

 

重機や動力工具など

なにかと便利な工具がそろっている現在とくらべて

当時はそんなものはなく 使えるのはすべて人力。

そんな中 わずか一年という短期間でこれだけ広大な飛行場を造り上げた

近隣住民の方々や朝鮮人労働者の方々の過酷すぎる労働条件は

凄まじく想像を絶するものだったでしょう。

 

辛く厳しい訓練

ここから飛び立っていった白鷺隊の思い

血と汗と涙、人の思い

いろんな感情が染みわたった場所だと感じました。

戦争はあかん!

 

今回は以上です。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

記事参考元

本記事を作成にあたり下記サイトを参考にさせて頂きました。

参考書籍

  • 碇義朗【著】「紫電改入門: 最強戦闘機徹底研究」

情報提供者

  • Mさん
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