職人ライダーヒロの 楽しいツーリング日記!

奈良県五條 賀名生の里 歴史ツーリング!南朝ゆかりの地をめぐる旅

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樹齢100年の枝垂桜裏の茅葺屋根の家屋の写真
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工作機械製造において キサゲ加工 という超重要な手仕上げ加工を施す職人である一方。相棒のCBR1000RRやGTR125aeroと共に旅に出かけ、日本各地に点在する絶景スポットやグルメ情報などをブログを通じて発信するブログライター。
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どうも!職人ライダーのヒロです。

今回は南朝ゆかりの地として知られる

賀名生の里へ行って来ました。

 

奈良県三大梅林の一つ “賀名生梅林” として有名なところで

山肌に建てられた集落を覆いつくすよう

約2万本もの梅の木が植えられており

梅の花の開花時期には幻想的な風景が広がります。

賀名生の梅の写真

今日は梅の話ではなく賀名生の歴史に触れるべく行ってまいりました。

ここは足利尊氏によて京を追われた後醍醐天皇が

吉野へと向かう道中に滞在した地域として有名。

滞在時に後醍醐天皇をもてなした堀家住宅は皇居として現在でも残っています。

 

南北朝時代の流れをふくむ歴史深い賀名生の里

歴史ツーリングの目的地としていかがでしょうか?

 

賀名生の里とは

南朝ゆかりの地として知られる賀名生の里の写真

南朝ゆかりの地として知られる賀名生の里

この地は南北朝時代の流れをふくむ歴史深い地域です。

ここでは南北朝時代のくわしい話はおいといて

賀名生を中心とした端的なことを説明したいと思います。

 

天皇中心の世をめざす後醍醐天皇。

武士中心の世をめざす足利尊氏。

1333年に鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は 念願だった天皇を中心とした政治をはじめます。

 

公家武家関係なく天皇が政治をする。

幕府や征夷大将軍、上皇や摂政・関白らすべてを廃止し

天皇に権力を集結させました。

言わば“建武の新政けんむのしんせい”とよばれるものす。

 

もちろん満足に恩恵を受けられなくなった武士たちは不満を募らせ

光明天皇を支持する足利尊氏のもとへ集結します。

そして1336年足利尊氏と後醍醐天皇との闘いが勃発!

その結果 後醍醐天皇は破れ 京都の花山院かざいんに幽閉されてしまいました。

 

それで大人しくならなかった後醍醐天皇はみごと花山院を脱出!

奈良の吉野をめざします。

その道中に滞在したのが賀名生(当時は穴生あなうという地名)だったというわけです。

賀名生の里「皇居跡」の写真

滞在時に後醍醐天皇は自分が天皇であることを明かしたことから

  • 北に足利尊氏が支持する光明天皇。
  • 南に後醍醐天皇。

南北に二つの天皇が現れたことになりました。

これが南北朝時代のはじまりというわけです。

 

そして後醍醐天皇が滞在したのが

郷士 堀孫太郎信増ほり まごたろう のぶまさlの邸宅である

堀家住宅(旧皇居跡)でした。

後醍醐天皇はこの地に行宮をもうけ、南朝の拠点にしたと伝えられています。

 

堀家住宅は後醍醐天皇が滞在したのち、火事にあって燃えてしまいましたが

骨組みや梁はそのまま使用して再建されました。

賀名生皇居跡「母屋」の写真

今では国の重要文化財に指定され現在でも残っています。

 

賀名生の里 歴史民俗資料館

現在 賀名生の里には後醍醐天皇が皇居として使用していた堀家住宅の他、

後醍醐天皇愛用の私物や堀家に伝わる歴史資料、

西吉野のくらしや文化を展示した歴史民俗資料館があります。

歴史民俗資料館の写真

なかでも明治維新のさきがけ、

天誅組の参謀 吉村寅太郎が筆

“皇居”扁額へんがくは必見の価値あり!

皇居の扁額(レプリカ)の写真

上の写真は堀家住宅(旧皇居跡)に掲げられているレプリカですが

歴史民俗資料館には元々あった本物が展示されています。

興味のある方は忘れずに見ておきましょう。

歴史民俗資料館 基本情報
  • 【住所】奈良県五條市西吉野町賀名生5
  • 【電話】0747-32-9010
  • 【営業時間】9:00~17:00
  • 【定休日】月曜日/祝日の翌日/年末年始
  • 【入館料】一般300円/高校生150円/小中学生100円
  • 【駐車場】あり

 

賀名生 地名の由来について

後醍醐天皇がはじめに賀名生あのうに訪れた時

この地は “穴生(あなう)” という地名でした。

それがなぜ賀名生あのうになったのでしょう?

参照元:賀名生の里入口「賀名生の由来」よりという写真

1351年のことです。

足利尊氏が南朝に降伏したのをきっかけに

京都の公卿くぎょう殿上人てんじょうびとが穴生に従うようになり

北朝が否定されるようになりました。

 

この事態に後村上天皇は

「願いが叶って目出度い」と思し召しされたことで

“加名生(かなう)”と名付けられたんだとか。

 

後に“加名生(かなう)”は畏れ多いということで

明治時代には “賀名生(あのう)” に呼び方を統一したということです。

※参照元:賀名生の里入口石板「賀名生の由来」より

 

賀名生旧皇居跡(堀家住宅)

樹齢100年の枝垂桜裏の茅葺屋根の家屋の写真

樹齢100年と言われる枝垂桜の奥に

圧倒的な存在感でたたずむ茅葺屋根の家屋。

こちらが足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇が

吉野に向かう途中に滞在したと言われる堀家住宅(旧皇居跡)です。

 

郷士“堀孫太郎信増ほり まごたろう のぶまさ”の邸宅であり

後醍醐天皇が行宮として滞在した後にも

後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇も行宮とし

明治維新のさきがけ、天誅組の参謀 吉村寅太郎も訪れました。

現在では国の重要文化財に指定されている重要な家屋です。

 

入口に当たる門の上には吉村寅太郎 筆

“皇居” の扁額へんがくが掲げられています。

吉村寅太郎の筆の扁額レプリカの写真

ちなみにこちらにあるのは本物ではなくレプリカです。

本物は歴史民俗資料館に展示されているので

興味のある方は忘れずに見ておきましょう。

 

ホテル&カフェレストラン 賀名生旧皇居「KANAU」

当時の面影をそのままに残している堀家住宅ですが

2019年4月よりリノベーションして

ホテル&カフェレストラン

“賀名生旧皇居 KANAU”として営業しております。

賀名生旧皇居 KANAU入口の写真

ホテルとして利用する際は一棟まるまる貸し切り状態にて宿泊できるので

かなり貴重な体験ができるのではないでしょうか。

Yahoo!トラベルなどの大手サイトで確認してみたところ

大人一人で2万円代の素泊まりプランから

5万円代の豪華食事つきプランまであるみたいなので

宿泊希望の人は確認してみて下さい。

賀名生皇居跡「母屋」の写真

水曜、土日祝が通常営業日となるカフェレストランでは

イノシシやシカ等のジビエを本格イタリア料理で楽しめる他

BBQもできます。(要予約)

堀家住宅の建屋内でいただくことが出来るので

かなり贅沢な時間を過ごせるのではないでしょうか。

賀名生皇居跡「母屋」入口の写真

 

リノベーションしているとはいえ

入口にあたる土間は昔ながらの古めかしさがそのまま残っています。

旧皇居跡の土間の写真

使用されている柱といい梁といい

現在の建物ではあまり見ることのない構造なので

南朝時代からつづく趣のようなものを感じました。

 

お座敷へあがると古風な田舎の家へきたといった感じです。

古風な田舎の家へ来たといった感じの写真

お座敷席とテーブル席にわかれているので

足が悪くて座るのが難しい方でも安心ですね。

ほんと、誰もいなかったら寝ころびたくなるところです。

誰もいない皇居跡内部の写真

 

外には川に面したテラス席。

それ越しに“幻の五新鉄道”のコンクリート橋が見えます。

バルコニー越しに見える幻の新五鉄道コンクリート橋の写真

五條から新宮までをむすぶ鉄道として建設されましたが

結局開通することはなかった未成線だったようです。

 

話しはそれましたが、

この日はカフェレストランopen後 すぐに来店したので

お客は自分ひとり!

注文したジビエカレーを美味しく頂きながら

かなり贅沢な時間をすごさせて頂きました。

ジビエカレーの写真

イタリア料理のレストランに来て「何でカレー?」って思われるかもしれませんが

ツーリングに来てイタ飯とカレー天秤にかけたら

カレーなんですよね…個人的に

それにジビエ好きなんでw

コース料理とかもあるので、よかったら一度お試しください。

 

これは別の日に来て食べたんですげど

自家製タルトのスイーツも焼き立てで美味しかった~

自家製タルトのスイーツの写真

オレンジのタルトのようで

甘酸っぱくて蜜も程よく馴染んでいて

めちゃ旨でした。

スイーツだけでもおすすめです!

 

そこで気になるお値段の話をしましょう

食事するとして大体一人頭2,000円前後~って感じです。

なかなか良いお値段ですよね

ですが 後醍醐天皇をはじめとする 名立たる著名人が過ごした同じ空間で

食事を頂けるという

とても贅沢な時間を過ごせる価値のあるものだと私は思いました。

 

同じように価値を感じられた方

興味を持たれた方

いちど利用してみてはいかがでしょう。

賀名生旧皇居 KANAU 基本情報
  • 【住所】奈良県五條市西吉野町賀名生1番
  • 【電話】0747-32-0080
  • 【営業時間】11:00~16:00
  • 【営業日】水曜/土日祝(ホテル&BBQは年中無休:要予約)
  • 【駐車場】あり

 

北畠親房墓

堀家住宅(旧皇居跡)からすこし丘へ登ったところに

北畠 親房きたばたけ ちかふさのお墓があるということなので行ってみたいと思います。

 

この方は後醍醐天皇と後村上天皇に仕え

南朝の勢力維持にその生涯をささげた人として伝えられています。

北畠 親房のお墓の写真

中でも神国日本の誕生から後醍醐天皇と後村上天皇の皇位継承

南朝方の正統性を主張した歴史書である

神皇正統記じんのうしょうとうき の著者として有名。

 

武将であり学者であり最後は僧侶。

後醍醐天皇に信頼され

後醍醐天皇の息子、第二皇子である世良親皇の世話係をもゆだねられました。

北畠親房のお墓のちかくの碑の写真

後醍醐天皇亡き後は

南朝をほぼ一人で背負ってきたといっても過言ではない

南朝の指導者として君臨し

1354年ここ賀名生で62年の生涯に幕をとじました。

 

1991年に放送されたNHKの大河ドラマ「太平記」では

近藤正臣さんが北畠親房 役を演じられています。

 

お墓は堀家住宅から小高い丘を登った先

今は閉校となった五條高校賀名生分校の正門跡からさらに丘へ上がるとたどり着きます。

五條高校賀名生分校正門跡から丘へ上がるという写真

 

伝説の未成線  幻の五新鉄道

賀名生旧皇居跡(堀家住宅)の章でも少し触れましたが

ここで改めてご紹介します。

幻の新五鉄道コンクリート橋と堀家住宅の写真

かつて明治時代末期に

紀伊半島を縦断する旧国鉄“五新線”という大規模な鉄道建設計画がありました。

奈良県の和歌山線「五条駅」から

賀名生、十津川を経由して

和歌山の紀勢本線「新宮駅」までを結ぶルートです。

幻の五新鉄道コンクリート橋を路線上から見た写真

工事は1937年(昭和12年)に奈良県側の五條市から着工されましたが、

途中で太平洋戦争がはじまり 資材不足が深刻となったためやむなく一時中断。

戦後に何とか工事は再開されたものの、

経済状況や社会情勢等の変化を理由に中止が決定され

1982年(昭和57年)に工事の凍結が決定しました。

幻の五新鉄道のトンネルの写真

鉄道として使用することはなかったものの

完成していた路線を整備し 路線バス専用道路として使っていました。

バスの運行はまだ鉄道工事が行われていた頃から運行していたようです。

 

国鉄バスとして運行し、西日本ジェイアールバスに引きつがれ

最後は奈良交通が引きついだが 利用客の減少とトンネルの状況悪化により

2014年(平成26年)路線バスも廃止となりました。

 

賀名生地区にもその痕跡は残っています。

路線バスの名残が残る賀名生バス停付近の写真

賀名生のバス停付近

こちらのバス停

1997年(平成9年)にカンヌ映画祭カメラドール賞を受賞した

映画「萌の朱雀」のロケ地となったバス停です。

映画「萌の朱雀」ロケ地となったバス停の写真

主演を演じたのが五條市名誉市民でもある

女優の尾野真千子さん

本映画が尾野さんのデビュー作になります。

 

地元の西吉野村で当時中学生だった尾野さんは

たまたまロケハンのために居合わせた河瀬直美監督の目にとまります。

そしていきなり主演に抜擢されたんだとか!

 

この映画、私も視聴しました。

舞台がこの地域にまつわる物語で

五新鉄道工事の流れをふくむストーリに仕上がっています。

時代でいうと五新鉄道の工事を中止するかしないかくらいの設定でした。

幻の五新鉄道 映画のロケ地となったバス停の写真

映画では尾野真千子さん演じる みちる が通学で利用しているバス停であり

従兄である栄介がみちるをバス停までバイクで送り迎えする

そんなシーンが描かれていました。

 

現在では幻となってしまった五新鉄道ですが

今では地元の五條市を中心としてイベントを考えたりしているんだとか

今後の行く末が楽しみです。

 

賀名生の里 基本情報

歴史民俗資料館 基本情報
  • 【住所】奈良県五條市西吉野町賀名生5
  • 【電話】0747-32-9010
  • 【営業時間】9:00~17:00
  • 【定休日】月曜日/祝日の翌日/年末年始
  • 【入館料】一般300円/高校生150円/小中学生100円
  • 【駐車場】あり
賀名生旧皇居 KANAU 基本情報
  • 【住所】奈良県五條市西吉野町賀名生1番
  • 【電話】0747-32-0080
  • 【営業時間】11:00~16:00
  • 【営業日】水曜/土日祝(ホテル&BBQは年中無休:要予約)
  • 【駐車場】あり

 

最後に

国道168号線沿いから見た賀名生の里入口の写真

いかがでしたでしょうか?

賀名生の里は国道168号線沿い 山間部に入ったところに位置します。

個人的に国道168号線はバイクで良く走るので

賀名生の里はよくお見かけしてました。

 

見かけてはいたけど

何も考えず 気にもせず 普通に素通りしてただけなんですよね。

 

しかし探ってみるとかなり深い歴史があることに今回気づかされました。

その土地でどんな歴史があったのか?

どんな人が活躍したのか?

何があった場所なのか?

少しでも調べてから行くとかなり見え方も変わってくるので面白いですよ!

 

歴史ツーリングの目的地として

賀名生の里はいかがでしょう?

今回の記事が参考になれば幸いです。

 

今回は以上となります。

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

記事参考元

本記事を作成にあたり下記サイトを参考にさせて頂きました。

情報提供者

  • Mさん
この記事を書いている人 - WRITER -
工作機械製造において キサゲ加工 という超重要な手仕上げ加工を施す職人である一方。相棒のCBR1000RRやGTR125aeroと共に旅に出かけ、日本各地に点在する絶景スポットやグルメ情報などをブログを通じて発信するブログライター。
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